実家に帰省し、母と話す中で実家の金融資産が小金持ちであることが発覚しました。
大部分は母ですが父もある程度持っていたことがわかりました。
ここに到達するまではあと30年はかかる(笑)
なんで小金持ちになれたのか?
答えは仕事で稼いだこと。 生活水準を上げなかったこと。
まずは仕事で稼いだこと。
父は工務店を営んでおります。今現在も。
初めから工務店だったわけではない。 やはり下積み時代はある。 有名な会社にも所属していたこともそして地元の有名会社にも所属していたことも良いことも悪いことも経験し今の父があるんだと思う。 昭和の頑固じじいですが良い面も悪い面もこれまたある。 だけどいざと言う時に『 親 』という存在感を示してくれている。
そういう父は時間を経て経験も自身も信用も勝ち得たんだと思う(これは勝手な私の私見)
それからというものずー--と頑張って働いている。 これが一つ目の答え。
古臭い言葉ですが体一貫で50年間働けている。家族のために。趣味仕事の父の存在はありがたい。
ちなみにですが父の年収は私の倍でした。 離婚後アパートを借りる際に連帯保証人としてそういった書類が必要でみたことありましたがすげーと思った。 父の年収なんてあんまり興味が無かったので観た瞬間驚き。
二つ目は母の生活感覚。
どういう経緯で今があるのかまた機会があった時に聞いてみようと思います。
母の家族は貧乏でした。ほんとに貧乏。 当時は家族が多かったのが普通でした。男兄弟二人、女4人の6人兄弟でした。 兄弟は雑魚寝で寝ていたし雨が雨漏りは当たり前だったし、出稼ぎで埼玉に来ていた両親のもと皆で住んでいた賃貸の家。 そういったこともありお金を持っていなかった時代が長かった。
両親結婚後、市営住宅の住まいは今思うとほんと狭い狭いところでした。 子供の頃は何とも思ってませんでした。逆にあの場所は楽しかった。今の存在していましたが建てられてから50年以上も経っているので今見るとぼろアパートです。
生活水準はほとんど上がってないと思います。 今も昔も。
お金を持っているからと言って高級な車や洋服、時計になったわけではなく普通の車や洋服、時計はしていたとこ見たことない。
そしていざって時に使う。
使う内訳はたまに食事、私の離婚時、体の不調時の入退院、家のリフォーム、車の購入、家族旅行。
母は今現在、お金を使ってはいるもののも―身についている金銭感覚は変えられないそうでお金が余るらしい。
父もまだ働いているし、生活水準上がらないし。
そんな感じで小金持ち(笑)
どうでも良い話ですが75歳にもなってまだ狙っている【土地】があるらしい。
地続きの実家脇の土地と自分の持ち家の道路挟んだちょっとした土地。
土地も人と一緒で巡り合わせ、ご縁というものが強いのでこういったことの延長上だと思ってます。
両親がこういう状態だからってあてにはしてません。
会社の確定拠出型年金、自分の資産運用。 これだけでも退職時には苦労はしないかな。
年金+自分の努力で分が月の収入になると思いますが現状は安泰かな(笑)