懐かしいなあ。 今は手は離れていますが大学2年生になる娘がいます。 バツイチな私ですが元嫁との間に一人娘が神奈川で生活しています。
子育てとお互いの夫婦としての信頼関係が破綻をきたし罰がついたわけですが、結果としてお互いに良かったと思っています。
当時は娘に対して一生懸命でした。 過去を振り返れば娘にとって重荷でしかなかったような時期で反省でしかありません。 娘はどう思っているのかはわかりませんが私はそう思っています。
なぜか?
可愛さが故に何でも答えを教えていたこと。 そして可愛さが故に1から10まで話をしていたこと。
遠距離になり結果、娘の人生にとって良かったと思います。 考える力、解決する過程、問題提起など社会に出た時に学歴以上に必要なことを親の私自身が取り上げてしまっていたからです。 そうなって欲しいと思っているからこそ言わなくても良いことを伝えていた。
昨日、YouTubeを見ているときにある動画が目に留まり考えさせられた時間でした。
それはあるサッカー選手で昨季バロンドールを取った選手の話でした。 その選手はプレーは勿論なことピッチ上以外の場所でも紳士的な模範となる選手であったこと。 すなわち『 人として 』も素晴らしかったという話。
元はと言うとスペインでのコーチ目線での話から始まったようで。
コーチは1流選手を育成したく日々選手に練習のかで技術の取得、試合に勝つための座学、戦術等を教え込み勝つことの重要性を押し込んでいたようで。 ただそう育成していくうえで大きな壁がありチームもそして選手も今以上の成績を上げられない時期があったということ。
ある日本人コーチが言ったそうです。 「我々コーチはこの育成の方法はあるべき姿なのか?」と。
コーチからするとコーチ目線での話だが、選手からすると選手目線での話になる。 コーチはなんでパスを出さない?なんでボールを運ばない? という話。
こんなやりとりは動画で指摘し指導はしていくがなんで出来ないんだ!と言うコーチ意見から、どうしたらその動作がプレーが出来るように落とし込めるのか、そして連続プレーする中で最良の判断をするためにどのようなことを伝えればよいか?
ただただ伝える正解を教えることはできるしそうなんだと選手に納得させることはできる。しかしそう同様な場面があるわけではなく一コマでしかない。そうなったときに必要なことはその場その場の正確な判断を瞬時に出来るか?ということ。
答えは分かっていても瞬時に考えさせる力、解決する力を備えなければその場での正しい判断が出来ないと言うこと。これから続くサッカー選手としてよりよい環境、給料などに大きく影響してくる。 社会人になると誰も教えてくれない。
答えは分かっていても状況も違えば働く人も違う。アプローチの仕方が違ってくる。そういったときに普段から答えを教えてもらってばかりだとある一定のラインで能力の限界が見えてしまい、向上されない。
私が娘に対して取っていた行動のように。 離婚し離れてからは多少は違っていたようです。
小6の始めから埼玉から神奈川に引っ越し、思春期時代を離れて過ごしたことが娘の人生形成の上で大きく成長したと話をすると実感できます。
中学校に上がってからは一人で新幹線のチケットを購入し浜松や岐阜まで電車を乗り継いで遊びに来てくれた。いくら成長はしていくとは言え父に会いに来るとは言え一人でいろいろ考えて行動し実行に移し自分の意志でやれるようになったことは親としても誇らしい限りです。
恐らく一緒に生活していたらこんなことはなかっとろうと思います。
バロンドール獲った選手の何かというとお分かりかと思いますが、自身の主体性を持って判断し失敗を恐れず行動を起こし、失敗は次への試合の糧として成功はより良い判断であったことと自信に繋げ生かして行けたことがバロンドールを獲得できたと。 そしてそれは選手だけでなく育成するコーチ自身も人として日々成長し問題を打開できる方法を選手に落とし込み体感させ自信に繋げる。
そういった日々の小さな積み重ねが蓄積され人間的成長を促すと!
ある野球監督のお言葉
『 人間的成長無くして技術の進歩はなし 』 と考え方が変わらなければ練習方法が変わらない。 考え方がが変われば練習方法に変化が起き結果、数字的にも良くも悪くもなり日々、自身の成長を促すことで人間的に成長できると。
私はまだ52歳。 仕事に対してもお金に対しても家族に対してもいろいろ考えて行動を起こしたいと思います!